写実系の絵画にはあまり興味はなかったんですが、食わず嫌いもどうかと思ったので、試しに一度美術展にいってみることにしました。そうしたらこれが意外と面白かったんですね。

そんなルーベンス展についての感想なんかを書いていこうと思います。
ルーベンスの描いた絵画は、物語画とか寓意画とかがたくさんありました。
物語画は、昔の神話のワンシーンを切り取って絵に描いたもの。寓意画は、抽象的な概念とかをリンゴみたいなモノに置き換えてあらわしたりする絵画です。
まあざっくりいえば、頭が良かったり教養があったりする人が好む絵画でしょうね。ビジネスエリートが雑談のタネにつかうというのも、こういうタイプの絵だと思います。
じゃあまったく知識とか頭の良さとかがない人が見に行ったらいけないのかというとそんなことはありません。美術館が誰にでもオープンなところです。
じっさいわたしはルーベンスの絵画とかルーベンス本人についての知識をほとんどいれないままで見に行きましたが、結構楽しめました。まあもっとがっつり勉強してからのほうがより深く絵画を味わえるのは確かでしょうが…。
そもそもズブの素人が、いきなりプロ美術家並みの観察眼を発揮するなんてことは無理な話ですからね。それよりもまずは、楽しんだり、面白がったりしながら絵を見ることのほうが大事です(きれいごとじゃないよ、本心だよ)。
印象派の絵画は、見る人をのっけから驚かせたりするインパクトをもっています。一見雑な絵なのに、ずっと見ていても飽きないし、見れば見るほどわからなくなってはまりこみます。
そんな印象派とちがって、ルーベンスの絵画はわかりやすい。
何がわかりやすいかというと、絵の中に何が描かれているのかがわかりやすいんです。印象派の絵画みたいに、そもそも何が描かれているのか、から判別しないといけない絵画とは大違いです。
それよりもその描かれているモノがどんな意味をもっているのか。とか、どういう状況を描いた作品なのか、みたいなことが大事なんだと思います。
だから、事前の知識がないと十分に見ることはできないんですね。
ただ、ルーベンスはこれだけ後世に名前と作品が残るだけあって、メチャクチャ絵が上手い!描き込みがものすごく細かい。写真やイラスト、漫画ともちがうものがあります。
これだけ技術が発達した現代でも、何百年も前に描かれた絵画を見る人達がいるのは、その絵画にしかない何かを感じているからでしょう。
なぜか脱がされるルーベンス絵画の登場人物たち
ルーベンス展を見ていて気になったのは、やたらとヌードが多いということです。べつに裸婦画というわけではないはずですが、なぜか絵画の中の人たちは服を脱いでいるんです。
あまりに全裸の人が多いものだからたまに服を着ている人がいると違和感を覚えてしまうくらいです。女性だけでなく男性ももれなくヌードになっていましたね。
あそこに描かれていたのは、ほとんどが神話の登場人物、すなわち女神とか英雄とかですよね。ようは普通の人間ではない。だからヌードを描いてもなんら問題はない。とこんな感じの寸法だったのでしょう。
写実的とはいっても、はたしてそれらのヌードを描くにあたって、現実のモデルを見ながら女神に仕立て上げていったのか。それとも完全に想像だけで描いた顔も体も実在していない人なのか。
肉体のことをいえば、おそらく男性女性ともに理想的なものになっていました。理想というのは、たぶんルーベンスが考える理想の肉体ですね。そしてそれは、当時の一般的な理想像とそう遠くはないはずです。
闘うときもほぼ全裸のヘラクレス
男性のヌードで特に印象に残ったのは、ギリシャ神話のヘラクレスです。
ルーベンスの描くヘラクレスは、とにかくたくましい。
背中は筋肉がボコボコ盛り上がってるし、腕とか足も太くて頑丈そう。さすがにあそこまでの肉体をもった人は現実にはいないでしょうが。そもそもヘラクレスは神話の人だし。
一つに気なったのは、ヘラクレスがほとんど全裸だったことです。申し訳程度に腰のあたりに布が巻き付いているだけ。怪物と戦うっていうのにほぼ全裸っていうのも変な話ですよね。防具の一つくらい身につけていてもいいはずです。
ギリシャ神話にヘラクレスは全裸で戦ったという記述があるのかもしれません。それともルーベンスがあえてヘラクレスを全裸にしたのか。まあそこらへんは謎です。
絵画でヌードといえば、女性モデルが圧倒的に多いですよね。いまでもヌードといったらほとんどの人が、女性すらも女性のヌードをイメージするでしょう。
それをルーベンスは、男性も女性もほとんど平等にヌードにしています。とすると、男女問わず、生のままありのままの人間の肉体を描くということにこだわりを持っていたのかもしれません。
がっしりとした女性たち
ルーベンスの描く女性は結構太ましいです。筋肉と脂肪が結構しっかりとついている体型です。
現代では女優やモデルはとにかく細い。見ているこっちが余計な心配をしてしまうほど細いですよね。
逆に、ルーベンスの絵画にいる女性はかなり太い。太いといってもデブといいたくなるような太さではなく、たくましいと呼ぶのがしっくりくるような太さです。
腕は筋肉がついているかのように盛り上がりがある。
お腹周りも肉がちゃんとあって、太もももがっしりしている。
色んなところに脂肪がしっかりついているからか、相対的に胸が小ぶりに見えてしまうほどです。
これはルーベンスの、というよりこの時代の女性がもっている美の価値観とか男性側の理想とかが反映されているような気がします。完全にルーベンスの趣味という可能性もありますが。
ルーベンスの実の娘の肖像
生で見てとても引き込まれたのが、《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》です。
あまりに美しいので神話の天使かなにかかと思ったら人間の少女でした。それもルーベンスの実の娘だとか。
この絵を見てあらためて絵画のすごさを思い知りました。当時はまだ写真はなかったはずですが、写真で残していたとしてもこんなに魅力的な画面にはならなかったでしょう。
それくらい素敵な絵画です。この絵だけ5分以上も見てしまいました。それでも全然飽きなかったくらいで、見れば見るほど引き込まれてしまう絵です。
たぶんただ写真にとっても、もっとつまらないものになっていたでしょう。実在した人だけど絵画として描かれることで、どこか想像上の人物のような神々しさを得ているように感じます。
あとは髪の毛の質感のリアリティが抜群でしたね。どうすれば、絵の具であんなに本物っぽい髪の毛が描けるのか。なめらかで豊かでつやのある幼い少女特有のあの髪質を完璧に表現しきっています。
難しいことを考えずにただ絵を見るのもいい
宗教とか神話とかの背景を一切知らずに、単純に絵だけを見るというのもありだと思います。そこに描かれているものだけを見て、どういう状況なんだろうとか、画家は何を思ってこの絵を描いたんだろうとか勝手に想像するんですね。
世間的にはアートを鑑賞するなら事前に勉強するのは当たり前。本や資料を読み込んで、画家や絵画への理解を深める。そして美術館へ行く。
たしかに美術の本を読むのは楽しいです。が、美術展にいくたび何冊も本を読んでーとやっていると、いつの間にかそれが義務になってしまう。そうなると、途端に楽しくなくなってしまいます。
美術鑑賞なんていうとかなり堅苦しく聞こえます。でも、根っこにあるのは、絵を見て楽しむということです。だから絵画の見方はそれぞれ好きなやり方でいいんですよね。
美術展が開かれるような画家とか絵はどれも上手なものばかりです。なので、ただ見ているだけでも飽きないし、十分に楽しめます。
世界のビジネスエリートにもなると、取引先との雑談に絵画などのアートの話がでるそうです。そこでアートについて何も知らなかったりすると、恥をかくし、ビジネスの相手と認めてもらえないんだとか。
とはいっても、こっちはそういう世界とは無縁ですし。とりあえずは自分の好きなように絵を見ようと思っています。かるく予備知識がほしいなと思ったら図書館とか書店にいって本を調達して読む。その気が起きなかったらあえて予備知識無しで見に行く。
それくらいの気楽さがあってもいいと思います。
そもそもアートは、他人の力量を推し量るためのものではないはずです。
美術館にいって絵を見て、いろんなことを気づいたり感じたりしてホクホク顔で帰路につく。人生がちょっとだけ豊かになった気がする。これが美術を見ることの醍醐味です。
ルーベンス展は新しい扉を開いてくれた
いままで写実的な絵画はあまりマークしていませんでした。宗教とかの背景を勉強するのが面倒くさいし…。
しかしながら、写実的な絵画や画家のすごさを思い知った美術展でした。
当時の写真はないですから比較はできませんが、写真のようにあるものをそのまま写し取るのとはまたちがうものだと思います。
完全に創作ではないし、完全に現実そのままでもない。そのあたりのバランスとか絵画としてのまとめ方なんかが面白いなと思いました。