日常×青春×人の死なないミステリ『春期限定いちごタルト事件』感想

本・書評

人の死なないミステリ。殺人事件からはじまらないミステリ。いわゆる「日常ミステリ」というものが好きです。

 

刑事のように事件の捜査をしていくタイプよりも、探偵役がもくもくと謎を解いていくタイプがいい。死んだ人が残したメッセージよりも、生きている人が発する言葉のほうが気になる。人が死なないから安心して読んでいられる。このような理由で「日常ミステリ」を好んでいます。

 

「好んでいる」といっても、米澤穂信先生以外の「日常ミステリ」はあまり読んだことがありません。そもそもほかに書いている人はいるのでしょうか。「日常ミステリ」を。

 

純粋に“謎解き”だけをメインにおいた小説というのは、あまり見かけません。ミステリといえば十中八九、だれか人が死にます。自殺だったり、他殺だったり。もしかして、ミステリの原則にあるのでしょうか。「登場人物をだれか一人は死なせないといけない」みたいな。

 

たしかに登場人物のだれかが死んでしまえば、あるいは殺されてしまえば、いやでも謎がうまれます。いったいだれが殺したのか?どうして殺されたのか?どうやって殺されたのか?どこで殺されたのか?次の殺人はおこるのか?犯人の目的は何なのか?

 

一方人の死なないミステリでは、こういった謎がいっさい発生しません。だれも死なないし、だれも殺されない。多少なにか被害にあうことはあっても、殺されるほどではありません。

 

「日常ミステリ」は、スリリングな展開が好きな人にとっては、少々退屈に思われるかもしれません。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』とか『ABC殺人事件』とかは、“殺し”がメインになって話が進んでいきます。“殺し”がひとつのエンターテイメントになっているのです。いえ、べつにクリスティが嫌いというわけではありません。

 

しかし、殺人というのはわたしたち(少なくとも日本に住んでいる人)にとっては、“非日常”です。え?小説というものは非日常を味わったり体験したりするためのものだ?たしかにそういう面もあるでしょう。ただ人の死というのは、基本的に人の心に負のストレスをあたえるものだと思います。

 

毎日ジェットコースターに乗れるのは、それがよっぽど好きな人だけでしょう。そこまで耐性がない人は、たまに乗るだけで十分です。

 

なぜこんなことをつらつらと述べたかというと、もっと「日常ミステリ」が読みたいからです。だれか日常ミステリを書いてくれないかなー。とりあえずは、米澤先生の著作を片っ端から読むことにしましょう。

 

さて『春期限定いちごタルト事件』は、「日常ミステリ」の短編集です。短編集といっても、時系列は並び順そのままだし、おもな登場人物も変わりません。つまり“日常”です。

 

日常の中にいる高校生が、日常のなかで謎を見つけて、あるいは遭遇してその謎を解き明かす。いや解き明かすというと少し大げさかもしれません。その謎を致しかたなく解こうとする、くらいでしょうか。

 

この小説は不思議な空気感があります。

 

小鳩君と小山内さんは、恋愛関係にも依存関係にもないが互恵関係にある高校一年生。

 

この主人公ふたりの関係は、人と人の男と女の関係のひとつの理想形ではないか、と思います。お互いの利益のためには動くけれど、深いところまでは干渉しない。ある意味大人のような冷めた考えをもっている子供というギャップがある。そこがこの小説にひきつけられる一つの理由です。

 

ミステリや謎解きの“種”というのは、どこにでも落ちているもの。と、この小説を読んでいると本当に思います。米澤先生がどうやって謎を生みだしているのか。そしてその謎の解きかたを考えているのか。とても気になります。

 

日常のなんでもないことが、あっという間に“謎”になる。そこが面白いです。

 

ミステリというのは、謎が解決するところが一番盛り上がるところです。でもこの小説は、それだけじゃありません。そもそも「何が謎になるのか」というところから、読者をおどろかせて楽しませてくれます。

 

読者は、そもそも何が事件になるのかというところからミステリを味わえるのです。その部分から、先回りして展開を推理、予想したくなる。というのは、作品を楽しみすぎでしょうかね。

 

『春期限定いちごタルト事件』米澤穂信 創元推理文庫